ちょっとだけ明かす僕。顔は出しません。前もって。見せてもたいした顔してないし。
まぁ、顔でも見たくなったらSPEEDに来てください。きっとあえます。笑

さて、なぜSPEEDなのか。
僕が、SPEEDにやられてしまった理由、それはHIP HOPでしょ。やっぱし。
バンコクでHIPHOPが聞けるディスコ・クラブが、まったくといっていいほどなかった時期があったとさ。
ていうかつい最近までそうだったんですよね。
そこで、あの有名なタイ・テキストサイト『ネッタイ』(現在はもうありません。このサイト。)にて、
その存在と実態を確認。

そして、そのままレッツラゴー。そこでであったのが、このページの協力者でもあり、
影の帝王として君臨する(笑)D氏と『ネッタイ』の管理人「てぃ」さん。
それ以降、ここで出会った日本人は数知れず。笑
つうことで、知ってる人は知ってるのが僕です。爆

もともとHIPHOP・R&Bをこよなく聴き続けて、もう十数年。
バンコクに移ってきて遊べなかったところへ、SPEEDがドデーン!!
たまらんでしょ。ねぇねぇ。たまらんでしょ。ぐへへへ。(やばいっておいっ。苦笑)
というように、ドツボにはまり大爆発。(これで2度怒られてます。D氏に。スイマセン。反省)

つうわけで、今もSPEEDに居ついておりまする。笑

バンコクのHIPHOPシーンを、見続けてきたここ数年。
JOEY BOYがまだ人知れず活動し、ヒットを模索していたころから始まり、
その彼が今では、トップスターとして君臨している今。
そして、それに続くHIPHOP アーティストたちが、次々に出てくる今。
僕もこの場で感じることが出来て、とてもうれしく思う今日この頃。

一言いっていいかな?

SPEEDなくして、バンコクのHIPHOPは語れず。
JOEY BOYなくして、他のアーティストは語れず。
D氏なくして、バンコクの音楽シーンは語れずです。
(また言い過ぎたか?苦笑)

THAITAYもDAJIMもいいけど、彼らを発掘するための原動力は、
JOEY BOYの活躍なくして、他に何があんのでしょう。
時代という人もいれば、流行という人もいうかもしれないけど、
時代にも、流行にも流されず一途に追い求めてきた彼らを、
否定することはバンコクのHIPHOPを否定することになるのでは。
音楽は時代でも流行でもなく、聴く人が聴きたいものを聴く。
だから、音楽シーンを時代と流行で片付けてはいけません。

そして、もちろん彼らを少なからず支えてきたのが、SPEEDであり、D氏であり。
SPEEDは、BKK HIPHOPシーンの中心であると、僕は思っています。

もちろん、HIPHOPのみならず、オールジャンルという分野の第一人者でもある、このSPEED。
今では、どこでもかしこでも聞ける音楽のすべてを最初にやってきたのがこのSPEEDだったりするんですよぉ。
しってました?

そうなんです、バンコクの音楽シーンのハシリだったりするんです。

ねっねっ。すごいでしょ。ハマるでしょ。(オイラだけか?笑)

今では、もう知る人の存在さえ少なくなってきたであろう、『DEEP』から始まり、
『DEEPER』・『SPEED2 (RCA2)』など数々の挑戦をし続けてきたSPEEDが、
一発勝負を狙っているらしい今。さて次は何が来るのか。
誰も思いつかなかったところから、SPEEDがドカーンってなんかやってくれるでしょう。笑

ここまで書いてきて、気づいたけど、僕のこと全然書いてないじゃん。笑
危ない危ない。忘れるとこだったよ。汗

僕。ロン毛、ドレッド、今では、普通に短髪。でも髭アリ。あんどCAP。(もう頭から離れないんじゃないかって噂。笑)
JJの古着屋で格安であさりまくる、HIPHOPファッション。
パンツのサイズがなくって結構大変なんですよ。これが。かなり妥協しまくってます。苦笑
僕のHIPHOP歴を語る、ティンバーのブーツ。十数年間、僕と一緒に踊り、酒を浴びタバコを消してきた、相棒。

ちょっとまってって思った?そう、ティンバーのブーツ愛用して十数年。そのうち写真出してもいいかな。
この一足を十数年履き続けてます。笑
とんでもないやつでしょ。僕。爆

つうわけで、すてられません。このブーツ。

長くなりましたが、コレが僕です。(どれが??????笑)
ここまで読んでいただいた方有難う御座います。

又、気が向いたら書き換えます。このページ。それでは。

19/11/2002
今日はロイクラトン

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BOZZE

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